昨日、坂上記者の記事を読んで
衝動でピアノに向かって弾いたのは
ベートーベンの「月光」第一楽章
子供時代に習った曲をこの半年で取り戻しつつありました。
ピアノを再開した理由は、その時の精神状態などもあってのことだったけれど、身に付けた技術や上達したいという気持ちが自分を支えてくれるのではないかと思ったのも、その一つです。
実際やってみて、上達していくことに楽しさを覚えています。
なので、大輔さんがうまくなるのがうれしいと話す気持ちがよく分かるようになりました。
(大輔さんのレベルには程遠いけれど、学びは自分のためにするのであって、
比べるものでもないと、この歳でようやく理解しました。長かった…
そして、もう一つ付け加えるなら、再現力の凄さ。本当に脱帽ものです。
そこは到底及ばない…)
今朝、この半年で初めて取り組んだ別の曲も弾いていたけれど、
やはり、曲を弾くことに精一杯で、感情を乗せるところまでにはいかない。
曲が全部入って、技術が安定してこそ、表現に行ける、気持ちを乗せれるところにいける、と(大した腕でもないですが…)気づきました。
そこで思ったのは当然、かなだいのことで。
昨年までは、やはり技術の習得の時期だったと。
今年は、技術のバージョンアップを図りながらも、
コンガ、オペラ座の怪人の世界を表現することができる段階に入っていた。
azmiさんの言葉を借りるなら、「深化」の時期だったんだと思います。
それがいつになるか、をずっと待っていたのが、
昨日とうとう公演されたんだ!!!
そう、かなだいの演技は、競技という場でありながらも、
やはり「公演」だと思うのです。
アイスダンスという言語の「技術」を習得し、
完璧に演技するために練習を重ねて、
それを公演するためのお稽古期間が3年弱かかった、とそう解釈しています。
それが長かったのか短かったのか、わかりませんが、
お二人の歩みが決して順調ではなかったのは、重々承知。
だからこその、昨日の満開の桜が咲き乱れたオペラ座の怪人の公演は格別で。
大輔さんも哉中ちゃんの演技後の涙だったんでしょう。
あんな充実した顔で流す涙を初めて見たので、
それで、また泣いてしまいました。
大輔さん、かなだいを応援していて、こんなギフトの時間をもらえたことが
ファン冥利に尽きるというのでしょうね。
現地にはいなかったけれど、同じ思いを抱えた仲間たちがあの場にいてくれたのも誇りです。
あの素晴らしい会場を作り上げたすべての観客のみなさんに本当に感謝しています。
さいたまスーパーアリーナの素晴らしい光景
こんな景色を見せてくれて本当に本当に
ありがとうございます🌸🌸🌸